2011年11月25日(金) 紅葉の愛知県民の森
今年の目標の一つに掲げていた愛知県民の森「外周尾根」の踏破はすでに既報のように、2011/04/22愛知県民の森外周尾根踏破、2011/06/14愛知県民の森外周尾根の逆コースですでに達成してしまったので、愛知県民の森にはこのところ足が遠退いておりました。
この外周尾根コース踏破の目標の先には、さらに宇連山(929m)登頂を加えることですが、外周だけで7時間30分に加え、北尾根分岐から宇連山々頂までの往復2時間を加えると、合計9時間30分が必要となります。日照時間の長い夏でも山の日暮は思いがけず速いので遅くても午後4時前には下山したいので、廬山開始時間は必然的には6時でギリギリです。そうなると、この計画を日照時間の短い秋口に行うのは無謀ですし、この時期冬眠前の熊とかイノシシのことも考慮せねばありません。熊はまだありませんが、イノシシとバッタリ目があった事はあります。怖かった!
さて、今回の計画の骨子ですが、
1) 南尾根~滝尾根分岐を経て北尾根分岐に出る。
2) ここで3) の条件を加味し、宇連山山頂を目指す。
3) 尾根周回にはこだわらず、下山は最短の滝沢コースか滝尾根コースを経て下山林道に降りる。
これら条件を踏まえた上で、ともかく北尾根分岐(744mポイント)まで入ってみようと計画してみました。
宿泊施設を備えたモリトピアの目の前のキャンプ場の後ろにそびえる南斜面を一気に上ると「不動の滝上展望台」からの眺めが楽しめます。
南尾根展望台からの展望をパノラマ写真にしてみました。明神山の展望塔、富幕山の中継アンテナ2基がよくわかります。冬場のよく晴れた乾燥した天気だと遠くに富士山を見ることが出来るそうですがーー。
結局今回は、北尾根分岐地点で山頂を目指すのは断念しました。その判断のポイントは1) 山頂往復で2時間、2) そこから下山で最短の滝尾根コースをとっても2時間、3) モリトピア着が3時ですので、この時期としてはやはりギリギリです。
その代りに北尾根を下り、さらにこれまで行ったことのない「蔦の滝」、「亀石の滝」を目指すことにしました。これが意外にきつかった!北尾根分岐から、急傾斜の北尾根を経て、いつものガクノ窪から林道を目指すのですが、今回はその途中で蔦の滝、亀石の滝分岐から滝を目指しました。ところがこの滝川に出るには尾根を一つ越さなければなりません。ここが結構きつかった!高度計のログを見ると100mはないけど結構登ってるのがわかります。秋口の渇水期ですのであまり水量は期待していませんでしたが、「蔦の滝」、の方はそれなりに滝らしい水量はありました。この「蔦の滝」、「亀石の滝」の他に「下石の滝」、「不動の滝」があり水に恵まれているところです。また、秋は紅葉、初夏の新緑となかなか景色も楽しめる場所です。
「蔦の滝」です。この近くには蔦がぶら下がってます。
こちら「亀石の滝」の方が落差が32mとあるのですが、少々水量が少なく迫力が今一つです。
今回少々遅かったかも知れませんが紅葉をご紹介しておきましょう。明治100年記念広場の紅葉です。いい色が出てるのですが、わかりますかねぇ。
また、この愛知県民の森の中を流れる「大津谷川」はいつ来ても水が澄んでいて、それなりの水量があります。冬場の降雪もないし、標高もさほどでないのでよほど大きな地下水脈があるのでしょうか。川をよく見ると石灰岩系の白い川床です。これもフィルターの役目をしているのかもしれません。夏季にはモリトピアの前の川にある「砂防ダム」の間で子供たちが水泳をしています。私も入ってみたいのですが、次の夏まで待ちましょう。
ログです。GPSデータによるログの軌跡とスントの高度計ログ、万歩計の時間ごとの歩数記録です。5時間26分、11.12kmの行程でした。
6:50 自宅発
7:50 モリトピア駐車場着
7:55 同出発
8:15 不動の滝上展望台
8:45 南尾根展望台
9:40 国体コース分岐
10:28 滝沢分岐
10:34 滝尾根分岐
10:50 北尾根分岐着昼食(744mポイント)
11:05 同発
11:50 ガクノ窪分岐
11:57 蔦の滝分岐
12:25 蔦の滝
12:35 亀石の滝
12:55 明治百年記念公園
13:30 モリトピア駐車場着
2011年11月28日月曜日
またまた竜ヶ石山尾根歩き
11月13日(日) またまた竜ヶ石山尾根歩き
今日はいつものメンバーのM山氏が、金指街道沿いにある四川料理店に行ってみたい、との提案があり、帰路にその店に立ち寄るべく竜ヶ石山から奥山に至る尾根歩きを計画しました。
ここの尾根道はすでに報告したように(2011年3月31日(木)”滝清水から奥山半僧坊へ”、2011年7月29日(金)”奥山半僧坊までの尾根歩き” )、あまり人が立ち入らないところなので今でも踏み跡が薄く、何度か目印の赤いテープ等を補給してきたところです。さらにこの夏の台風15号の影響で倒木が多く、そう大した事は出来ませんが鉈、鋸(むろん銃刀法に触れない小型の)を持って少し手を入れてきました。
いつものように自宅から徒歩で金指街道のバス停で他のメンバーと合流すべく歩き始めます。いつもは1:30程の道のりですが、今回は途中で「すき屋」の鮭・けんちん汁朝定食をトライしようと20分ほど余裕を見てスタート。朝食をしっかり食べたせいか足も軽くいつもの「三方原霊園前」をやり過ごし、「根洗バス停前」でもまだ8:30だったので、2つ先の「祝田(ホウダ)バス停」まで行くことにしました。ところがこのバス停の間隔が長く思いがけず途中で時間が足りなくなり、何とウォーキングからランニングに切り替える羽目となってしまいました。
因みに、この「三方原霊園」は徳川家康が武田信玄軍の南進を止めることが出来ずに大敗したあの「三方原の戦い」の古戦場です。但し、明確にここであるかどうかはまだ定説はないようです。
竜ヶ岩洞前バス停から、竜ヶ石山山頂まではほぼいつもの通りに約1時間の登りで到着。帰路の奥山に向かう尾根歩きは台風の影響もあって倒木などが多く道の確保などの作業も進めながらの行程でしたので約1:30弱かかってしまいました。いつもは「奥山バス停」に向かうのですが、今回はそのまま浜松方面にバスで戻るのでで「奥山小学校前バス停」に下山しました。
GPSデータの山歩き部分の軌跡を紹介します。
今回は、倒木他の登山路確保の作業があったので、写真を撮る余裕がありませんでしたので、登山道のGPSログだけでなく、全体像が分かるGPSログも作ってみました。浜北から三方原台地を横切り金指の手前までの徒歩区間と金指から細江竜ヶ岩洞まで伸ばす区間が俯瞰できます。ご参考まで。15~6km、約28,000歩、6時間半のなかなか有意義な一日でした。(午餐の時間を除く)
全行程のGPSデータと高度データの軌跡です。
当該の四川料理店「成都」は金指街道沿いの百里園バス停の南にあります。見ればすぐわかります。刀削麺が得意らしいですが、まだ試したことはありません、四川ですからピリ辛で味はまあまあと思います。
7:10 自宅徒歩出発
8:55 祝田バス停で合流
9:16 竜ヶ岩洞入口下車
10:15 竜ヶ石山山頂 ほぼいつもと同様
10:45 下山開始
12:10 奥山小学校前バス停
12:24 バス乗車
12:55 四川料理「成都」到着
14:15 同出発 徒歩にて東進
15:10 自宅着
<石碑>
「三方原古戦場」
徳川恒孝 (とくがわ つねなり)
<碑銘>
元亀3年(1573年)12月22日徳川家康は武田信玄の上洛を阻止せんと、武田軍およそ2万7千の兵力に対し徳川軍は、およそ1万1千の兵力を持って戦いを挑み、戦闘約2時間と言われるも結果は大敗に終わった。 これが三方原合戦である。戦いが展開されたのは、この三方原台地であるがそのところは定かではない。 われわれは、この三方原の一角に、この碑を建て、その歴史の場を永く後世に伝えようとするものである。
昭和59年7月吉日
三方原歴史文化保存会有志
補足1) 徳川軍1万1千のうち、3千が織田からの援軍
補足2) 武田主力部隊は、二俣城を落とした後、浜松城には向かわず三方原台地を西に進み、浜名湖の庄内半島付近(現在の舘山寺付近か)にあったと言われる堀江城を目指したらしい。その時横切ったのが「祝田の坂と」言われるが定かではない。
補足3) 徳川恒孝 (とくがわ つねなり) 徳川宗家18代当主。 元日本郵船副社長、現徳川記念財団理事長。 会津松平、容保(かたもり)の子孫1940年生まれ。宗家17代外孫ながら直系男子の夭折のため、養子となる。
今日はいつものメンバーのM山氏が、金指街道沿いにある四川料理店に行ってみたい、との提案があり、帰路にその店に立ち寄るべく竜ヶ石山から奥山に至る尾根歩きを計画しました。
ここの尾根道はすでに報告したように(2011年3月31日(木)”滝清水から奥山半僧坊へ”、2011年7月29日(金)”奥山半僧坊までの尾根歩き” )、あまり人が立ち入らないところなので今でも踏み跡が薄く、何度か目印の赤いテープ等を補給してきたところです。さらにこの夏の台風15号の影響で倒木が多く、そう大した事は出来ませんが鉈、鋸(むろん銃刀法に触れない小型の)を持って少し手を入れてきました。
いつものように自宅から徒歩で金指街道のバス停で他のメンバーと合流すべく歩き始めます。いつもは1:30程の道のりですが、今回は途中で「すき屋」の鮭・けんちん汁朝定食をトライしようと20分ほど余裕を見てスタート。朝食をしっかり食べたせいか足も軽くいつもの「三方原霊園前」をやり過ごし、「根洗バス停前」でもまだ8:30だったので、2つ先の「祝田(ホウダ)バス停」まで行くことにしました。ところがこのバス停の間隔が長く思いがけず途中で時間が足りなくなり、何とウォーキングからランニングに切り替える羽目となってしまいました。
因みに、この「三方原霊園」は徳川家康が武田信玄軍の南進を止めることが出来ずに大敗したあの「三方原の戦い」の古戦場です。但し、明確にここであるかどうかはまだ定説はないようです。
碑文内容と徳川恒孝の揮毫に関する説明は後述する。
竜ヶ岩洞前バス停から、竜ヶ石山山頂まではほぼいつもの通りに約1時間の登りで到着。帰路の奥山に向かう尾根歩きは台風の影響もあって倒木などが多く道の確保などの作業も進めながらの行程でしたので約1:30弱かかってしまいました。いつもは「奥山バス停」に向かうのですが、今回はそのまま浜松方面にバスで戻るのでで「奥山小学校前バス停」に下山しました。
GPSデータの山歩き部分の軌跡を紹介します。
今回は、倒木他の登山路確保の作業があったので、写真を撮る余裕がありませんでしたので、登山道のGPSログだけでなく、全体像が分かるGPSログも作ってみました。浜北から三方原台地を横切り金指の手前までの徒歩区間と金指から細江竜ヶ岩洞まで伸ばす区間が俯瞰できます。ご参考まで。15~6km、約28,000歩、6時間半のなかなか有意義な一日でした。(午餐の時間を除く)
全行程のGPSデータと高度データの軌跡です。
当該の四川料理店「成都」は金指街道沿いの百里園バス停の南にあります。見ればすぐわかります。刀削麺が得意らしいですが、まだ試したことはありません、四川ですからピリ辛で味はまあまあと思います。
8:55 祝田バス停で合流
9:16 竜ヶ岩洞入口下車
10:15 竜ヶ石山山頂 ほぼいつもと同様
10:45 下山開始
12:10 奥山小学校前バス停
12:24 バス乗車
12:55 四川料理「成都」到着
14:15 同出発 徒歩にて東進
15:10 自宅着
<石碑>
「三方原古戦場」
徳川恒孝 (とくがわ つねなり)
<碑銘>
元亀3年(1573年)12月22日徳川家康は武田信玄の上洛を阻止せんと、武田軍およそ2万7千の兵力に対し徳川軍は、およそ1万1千の兵力を持って戦いを挑み、戦闘約2時間と言われるも結果は大敗に終わった。 これが三方原合戦である。戦いが展開されたのは、この三方原台地であるがそのところは定かではない。 われわれは、この三方原の一角に、この碑を建て、その歴史の場を永く後世に伝えようとするものである。
昭和59年7月吉日
三方原歴史文化保存会有志
補足1) 徳川軍1万1千のうち、3千が織田からの援軍
補足2) 武田主力部隊は、二俣城を落とした後、浜松城には向かわず三方原台地を西に進み、浜名湖の庄内半島付近(現在の舘山寺付近か)にあったと言われる堀江城を目指したらしい。その時横切ったのが「祝田の坂と」言われるが定かではない。
補足3) 徳川恒孝 (とくがわ つねなり) 徳川宗家18代当主。 元日本郵船副社長、現徳川記念財団理事長。 会津松平、容保(かたもり)の子孫1940年生まれ。宗家17代外孫ながら直系男子の夭折のため、養子となる。
2011年11月7日月曜日
台風の後の秋葉山
秋葉山(866m) 2011年10月21日
このところ私の周辺で様々の出来事に追われ、山歩きどころではない日々が続いておりましたが、ようやく先の見通しも立ち久々にトレーニングも兼ねてF氏、H氏と共に秋葉山に行ってきました。今年平成23年はここ遠州地方でも台風15号の洗礼を受けました。雨風がそれはそれは強烈なもので、特に風はこれまで経験したことのないほどの強風で、我が家の雨樋が吹き飛んだほどです。喉元過ぎればで、この台風の影響をすっかり忘れてましたが、秋葉山下社から「くりはし」を渡り、参道のアプローチに立ってみたら、あちこちすごいことになっています。参道が崩れ、大木が倒れて道をふさいでいたりとあちこち被災しています。各方面の方々のご努力で少しずつ修復が施されていますが、まだまだかかりそうです。
この秋葉山は火防の神様として古くから信仰を集めており、消防関係の諸団体の名前が寄進者や参拝団体の名前に多く見られます。登山道にも禁煙、火防の表示が沢山あります。
因みに「秋葉原」の由来はここなんです。1869年(明治2年)12月の大火を受け、明治天皇の勅命で現在のJR秋葉原駅構内の地に勧請された「鎮火社」を、江戸時代に火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていた神仏混淆の秋葉大権現(あきはだいごんげん)が勧請されたものと誤解した人々が「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火災時には緩衝地帯となるよう空き地とされていた社域を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことに由来だそうです。その鎮火社は1870年に秋葉社となり、1888年(明治21年)日本鉄道が建設していた鉄道線(現在の東北本線)が上野から秋葉原まで延長されるのに伴って台東区松が谷3丁目に移転され、秋葉神社となったといわれてます。いずれにしても、この秋葉山が総本山(神社本庁傘下だけで約800社らしい)ですのでAKB48はメンバー全員でここ秋葉山に参詣しなくてはいけないのでは?じゃんけん大会より秋葉山登山で順位を決めてはいかがでしょう?
また、この秋葉山は火難除けの神を祭る神社の総本山ですので、火災に悩まされていた江戸市中の人々の間でその信仰は急速に広まっていました。野次北さん北さんで有名な、東海道膝栗毛の中でも掛川の宿から東海道をそれて秋葉詣でに行くとの記述があると言われているようです。横道にそれるといっても掛川から秋葉山まで約50Km程ありますし、秋葉山から気賀、三ケ日宿辺りの姫街道に戻ったのでしょうが、御油宿か二川宿で東海道に戻ったのかは定かではありませんが、少なくとも2~3日は余分にかかるはずです。ずいぶんゆったりとした旅だったのですね。
これは歌川広重の東海道五十三次のうち「掛川秋葉山遠望」ですが、掛川宿の手前の塩井川に掛かる橋の上を、秋葉詣の旅人と修験者がすれ違う場面が描かれています。火橋の手前に描かれている二本の常夜灯は、秋葉山の入り口を示しています。右側奥の山が秋葉山だそうです。
旧姫街道の石畳などの山を歩くたびにいつも思うのですが、昔の人はホントに草鞋ばきで山道をあるいたんですね。当時の人の足の裏はどんなんだったのでしょうね。話はまたまた横道にそれますが、松本清張原作の短編「天城越え」のNHKドラマを見た時のことを思い出しました。大谷直子演ずる足抜け娼婦が、鶴見信吾の家出の少年に「兄さん、はだしで歩くと気持ちがいいよ」と声をかける場面があります。当然舗装などされているはずもない天城の山道を若い女と子供が素足で歩く、それも相当の距離だと思うのですがーーー。足の裏が血まみれになるのではないかと心配したことを思い出しました。いつかわらじで歩いてみなければいけません、実践主義者の私としては。地下足袋はコメリであるのですが、わらじがねぇ。
横道にそれ過ぎましたが、今回のログです。今回はなまった体をほぐすトレーニングのつもりでしたのでゆっくりとしたペースで歩いてきました。
9:09 下社(やしろ)先の駐車場出発
10:50 送電線直下休憩
11:25 三尺坊
11:50 秋葉山本社
11:55 茶店
12:30 下山開始
12:50 三尺坊通過
13:10 送電線直下休憩
14:30 下社付近駐車場着
5時間22分、約2万歩、約9.35km
いつものごとくそれぞれGPSデータ、万歩計、高度計のデータです。
今回は少々曇りがちであまり眺望は良くありませんでしたが、前掲GPS地図データでも送電線とクロスするところに木製のテーブルとベンチがありゆったりと休憩しました。写真はそこから南側、天竜川の流れに沿って南側を見たところです。
この先、東側に眺望が開けているところでは冬の晴れた日には富士山も望むことが出来ます。この写真は当日のものではありませんが、2006年の正月のものです。
秋葉山から手前の山道を下ると「秋葉三尺坊大権現」があります。その昔秋葉山山岳信仰に、信州出身の三尺坊という修験者が起こしたと言われています。この三尺坊を祀る秋葉社と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺とが同じ境内にある神仏混淆ですが、この三尺坊の場所には現在「秋葉寺」が置かれています。なかなか分かりにくいのですが、これは三尺坊の山門です。
こちらは秋葉神社の旧神門です。
これが新しい秋葉神社本社で、古い方は新しい(と言っても結構古いのですが)神門です。こちら側は道路が整備されていて車で参拝できます。ハイヒールやサンダル履きの人も多いので、旧参道の山道を汗みどろになってようやくたどり着いた我々との対比がなかなかです。
秋葉神社の大鳥居は金色に輝いて南側には浜松、アクトタワーが見えます。また冬の晴れている時期には遠州灘を望むことが出来ます。火防の神社ですので火をおこしてお湯を沸かしてコーヒーを飲んだりすることはやや憚られますので、茶店・売店のご利用をお勧めします。
このところ私の周辺で様々の出来事に追われ、山歩きどころではない日々が続いておりましたが、ようやく先の見通しも立ち久々にトレーニングも兼ねてF氏、H氏と共に秋葉山に行ってきました。今年平成23年はここ遠州地方でも台風15号の洗礼を受けました。雨風がそれはそれは強烈なもので、特に風はこれまで経験したことのないほどの強風で、我が家の雨樋が吹き飛んだほどです。喉元過ぎればで、この台風の影響をすっかり忘れてましたが、秋葉山下社から「くりはし」を渡り、参道のアプローチに立ってみたら、あちこちすごいことになっています。参道が崩れ、大木が倒れて道をふさいでいたりとあちこち被災しています。各方面の方々のご努力で少しずつ修復が施されていますが、まだまだかかりそうです。
この秋葉山は火防の神様として古くから信仰を集めており、消防関係の諸団体の名前が寄進者や参拝団体の名前に多く見られます。登山道にも禁煙、火防の表示が沢山あります。
因みに「秋葉原」の由来はここなんです。1869年(明治2年)12月の大火を受け、明治天皇の勅命で現在のJR秋葉原駅構内の地に勧請された「鎮火社」を、江戸時代に火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていた神仏混淆の秋葉大権現(あきはだいごんげん)が勧請されたものと誤解した人々が「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火災時には緩衝地帯となるよう空き地とされていた社域を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことに由来だそうです。その鎮火社は1870年に秋葉社となり、1888年(明治21年)日本鉄道が建設していた鉄道線(現在の東北本線)が上野から秋葉原まで延長されるのに伴って台東区松が谷3丁目に移転され、秋葉神社となったといわれてます。いずれにしても、この秋葉山が総本山(神社本庁傘下だけで約800社らしい)ですのでAKB48はメンバー全員でここ秋葉山に参詣しなくてはいけないのでは?じゃんけん大会より秋葉山登山で順位を決めてはいかがでしょう?
また、この秋葉山は火難除けの神を祭る神社の総本山ですので、火災に悩まされていた江戸市中の人々の間でその信仰は急速に広まっていました。野次北さん北さんで有名な、東海道膝栗毛の中でも掛川の宿から東海道をそれて秋葉詣でに行くとの記述があると言われているようです。横道にそれるといっても掛川から秋葉山まで約50Km程ありますし、秋葉山から気賀、三ケ日宿辺りの姫街道に戻ったのでしょうが、御油宿か二川宿で東海道に戻ったのかは定かではありませんが、少なくとも2~3日は余分にかかるはずです。ずいぶんゆったりとした旅だったのですね。
これは歌川広重の東海道五十三次のうち「掛川秋葉山遠望」ですが、掛川宿の手前の塩井川に掛かる橋の上を、秋葉詣の旅人と修験者がすれ違う場面が描かれています。火橋の手前に描かれている二本の常夜灯は、秋葉山の入り口を示しています。右側奥の山が秋葉山だそうです。
旧姫街道の石畳などの山を歩くたびにいつも思うのですが、昔の人はホントに草鞋ばきで山道をあるいたんですね。当時の人の足の裏はどんなんだったのでしょうね。話はまたまた横道にそれますが、松本清張原作の短編「天城越え」のNHKドラマを見た時のことを思い出しました。大谷直子演ずる足抜け娼婦が、鶴見信吾の家出の少年に「兄さん、はだしで歩くと気持ちがいいよ」と声をかける場面があります。当然舗装などされているはずもない天城の山道を若い女と子供が素足で歩く、それも相当の距離だと思うのですがーーー。足の裏が血まみれになるのではないかと心配したことを思い出しました。いつかわらじで歩いてみなければいけません、実践主義者の私としては。地下足袋はコメリであるのですが、わらじがねぇ。
横道にそれ過ぎましたが、今回のログです。今回はなまった体をほぐすトレーニングのつもりでしたのでゆっくりとしたペースで歩いてきました。
9:09 下社(やしろ)先の駐車場出発
10:50 送電線直下休憩
11:25 三尺坊
11:50 秋葉山本社
11:55 茶店
12:30 下山開始
12:50 三尺坊通過
13:10 送電線直下休憩
14:30 下社付近駐車場着
5時間22分、約2万歩、約9.35km
いつものごとくそれぞれGPSデータ、万歩計、高度計のデータです。
今回は少々曇りがちであまり眺望は良くありませんでしたが、前掲GPS地図データでも送電線とクロスするところに木製のテーブルとベンチがありゆったりと休憩しました。写真はそこから南側、天竜川の流れに沿って南側を見たところです。
この先、東側に眺望が開けているところでは冬の晴れた日には富士山も望むことが出来ます。この写真は当日のものではありませんが、2006年の正月のものです。
秋葉山から手前の山道を下ると「秋葉三尺坊大権現」があります。その昔秋葉山山岳信仰に、信州出身の三尺坊という修験者が起こしたと言われています。この三尺坊を祀る秋葉社と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺とが同じ境内にある神仏混淆ですが、この三尺坊の場所には現在「秋葉寺」が置かれています。なかなか分かりにくいのですが、これは三尺坊の山門です。
こちらは秋葉神社の旧神門です。
これが新しい秋葉神社本社で、古い方は新しい(と言っても結構古いのですが)神門です。こちら側は道路が整備されていて車で参拝できます。ハイヒールやサンダル履きの人も多いので、旧参道の山道を汗みどろになってようやくたどり着いた我々との対比がなかなかです。
秋葉神社の大鳥居は金色に輝いて南側には浜松、アクトタワーが見えます。また冬の晴れている時期には遠州灘を望むことが出来ます。火防の神社ですので火をおこしてお湯を沸かしてコーヒーを飲んだりすることはやや憚られますので、茶店・売店のご利用をお勧めします。
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