2011年11月28日月曜日

またまた竜ヶ石山尾根歩き

11月13日(日) またまた竜ヶ石山尾根歩き


今日はいつものメンバーのM山氏が、金指街道沿いにある四川料理店に行ってみたい、との提案があり、帰路にその店に立ち寄るべく竜ヶ石山から奥山に至る尾根歩きを計画しました。
ここの尾根道はすでに報告したように(2011年3月31日(木)”滝清水から奥山半僧坊へ”、2011年7月29日(金)”奥山半僧坊までの尾根歩き” )、あまり人が立ち入らないところなので今でも踏み跡が薄く、何度か目印の赤いテープ等を補給してきたところです。さらにこの夏の台風15号の影響で倒木が多く、そう大した事は出来ませんが鉈、鋸(むろん銃刀法に触れない小型の)を持って少し手を入れてきました。

いつものように自宅から徒歩で金指街道のバス停で他のメンバーと合流すべく歩き始めます。いつもは1:30程の道のりですが、今回は途中で「すき屋」の鮭・けんちん汁朝定食をトライしようと20分ほど余裕を見てスタート。朝食をしっかり食べたせいか足も軽くいつもの「三方原霊園前」をやり過ごし、「根洗バス停前」でもまだ8:30だったので、2つ先の「祝田(ホウダ)バス停」まで行くことにしました。ところがこのバス停の間隔が長く思いがけず途中で時間が足りなくなり、何とウォーキングからランニングに切り替える羽目となってしまいました。

因みに、この「三方原霊園」は徳川家康が武田信玄軍の南進を止めることが出来ずに大敗したあの「三方原の戦い」の古戦場です。但し、明確にここであるかどうかはまだ定説はないようです。


碑文内容と徳川恒孝の揮毫に関する説明は後述する。

竜ヶ岩洞前バス停から、竜ヶ石山山頂まではほぼいつもの通りに約1時間の登りで到着。帰路の奥山に向かう尾根歩きは台風の影響もあって倒木などが多く道の確保などの作業も進めながらの行程でしたので約1:30弱かかってしまいました。いつもは「奥山バス停」に向かうのですが、今回はそのまま浜松方面にバスで戻るのでで「奥山小学校前バス停」に下山しました。
GPSデータの山歩き部分の軌跡を紹介します。


今回は、倒木他の登山路確保の作業があったので、写真を撮る余裕がありませんでしたので、登山道のGPSログだけでなく、全体像が分かるGPSログも作ってみました。浜北から三方原台地を横切り金指の手前までの徒歩区間と金指から細江竜ヶ岩洞まで伸ばす区間が俯瞰できます。ご参考まで。15~6km、約28,000歩、6時間半のなかなか有意義な一日でした。(午餐の時間を除く)

全行程のGPSデータと高度データの軌跡です。




当該の四川料理店「成都」は金指街道沿いの百里園バス停の南にあります。見ればすぐわかります。刀削麺が得意らしいですが、まだ試したことはありません、四川ですからピリ辛で味はまあまあと思います。

 7:10 自宅徒歩出発
 8:55 祝田バス停で合流
 9:16 竜ヶ岩洞入口下車
10:15 竜ヶ石山山頂  ほぼいつもと同様
10:45 下山開始
12:10 奥山小学校前バス停
12:24 バス乗車
12:55 四川料理「成都」到着
14:15 同出発 徒歩にて東進
15:10 自宅着


<石碑>

「三方原古戦場」
   徳川恒孝 (とくがわ つねなり) 

<碑銘>
 元亀3年(1573年)12月22日徳川家康は武田信玄の上洛を阻止せんと、武田軍およそ2万7千の兵力に対し徳川軍は、およそ1万1千の兵力を持って戦いを挑み、戦闘約2時間と言われるも結果は大敗に終わった。 これが三方原合戦である。戦いが展開されたのは、この三方原台地であるがそのところは定かではない。 われわれは、この三方原の一角に、この碑を建て、その歴史の場を永く後世に伝えようとするものである。

   昭和59年7月吉日
     三方原歴史文化保存会有志


補足1) 徳川軍1万1千のうち、3千が織田からの援軍

補足2) 武田主力部隊は、二俣城を落とした後、浜松城には向かわず三方原台地を西に進み、浜名湖の庄内半島付近(現在の舘山寺付近か)にあったと言われる堀江城を目指したらしい。その時横切ったのが「祝田の坂と」言われるが定かではない。

補足3) 徳川恒孝 (とくがわ つねなり) 徳川宗家18代当主。 元日本郵船副社長、現徳川記念財団理事長。 会津松平、容保(かたもり)の子孫1940年生まれ。宗家17代外孫ながら直系男子の夭折のため、養子となる。


2011年11月7日月曜日

台風の後の秋葉山

秋葉山(866m) 2011年10月21日
  このところ私の周辺で様々の出来事に追われ、山歩きどころではない日々が続いておりましたが、ようやく先の見通しも立ち久々にトレーニングも兼ねてF氏、H氏と共に秋葉山に行ってきました。今年平成23年はここ遠州地方でも台風15号の洗礼を受けました。雨風がそれはそれは強烈なもので、特に風はこれまで経験したことのないほどの強風で、我が家の雨樋が吹き飛んだほどです。喉元過ぎればで、この台風の影響をすっかり忘れてましたが、秋葉山下社から「くりはし」を渡り、参道のアプローチに立ってみたら、あちこちすごいことになっています。参道が崩れ、大木が倒れて道をふさいでいたりとあちこち被災しています。各方面の方々のご努力で少しずつ修復が施されていますが、まだまだかかりそうです。



  この秋葉山は火防の神様として古くから信仰を集めており、消防関係の諸団体の名前が寄進者や参拝団体の名前に多く見られます。登山道にも禁煙、火防の表示が沢山あります。
  因みに「秋葉原」の由来はここなんです。1869年(明治2年)12月の大火を受け、明治天皇の勅命で現在のJR秋葉原駅構内の地に勧請された「鎮火社」を、江戸時代に火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていた神仏混淆の秋葉大権現(あきはだいごんげん)が勧請されたものと誤解した人々が「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火災時には緩衝地帯となるよう空き地とされていた社域を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことに由来だそうです。その鎮火社は1870年に秋葉社となり、1888年(明治21年)日本鉄道が建設していた鉄道線(現在の東北本線)が上野から秋葉原まで延長されるのに伴って台東区松が谷3丁目に移転され、秋葉神社となったといわれてます。いずれにしても、この秋葉山が総本山(神社本庁傘下だけで約800社らしい)ですのでAKB48はメンバー全員でここ秋葉山に参詣しなくてはいけないのでは?じゃんけん大会より秋葉山登山で順位を決めてはいかがでしょう?

  また、この秋葉山は火難除けの神を祭る神社の総本山ですので、火災に悩まされていた江戸市中の人々の間でその信仰は急速に広まっていました。野次北さん北さんで有名な、東海道膝栗毛の中でも掛川の宿から東海道をそれて秋葉詣でに行くとの記述があると言われているようです。横道にそれるといっても掛川から秋葉山まで約50Km程ありますし、秋葉山から気賀、三ケ日宿辺りの姫街道に戻ったのでしょうが、御油宿か二川宿で東海道に戻ったのかは定かではありませんが、少なくとも2~3日は余分にかかるはずです。ずいぶんゆったりとした旅だったのですね。


  これは歌川広重の東海道五十三次のうち「掛川秋葉山遠望」ですが、掛川宿の手前の塩井川に掛かる橋の上を、秋葉詣の旅人と修験者がすれ違う場面が描かれています。火橋の手前に描かれている二本の常夜灯は、秋葉山の入り口を示しています。右側奥の山が秋葉山だそうです。

  旧姫街道の石畳などの山を歩くたびにいつも思うのですが、昔の人はホントに草鞋ばきで山道をあるいたんですね。当時の人の足の裏はどんなんだったのでしょうね。話はまたまた横道にそれますが、松本清張原作の短編「天城越え」のNHKドラマを見た時のことを思い出しました。大谷直子演ずる足抜け娼婦が、鶴見信吾の家出の少年に「兄さん、はだしで歩くと気持ちがいいよ」と声をかける場面があります。当然舗装などされているはずもない天城の山道を若い女と子供が素足で歩く、それも相当の距離だと思うのですがーーー。足の裏が血まみれになるのではないかと心配したことを思い出しました。いつかわらじで歩いてみなければいけません、実践主義者の私としては。地下足袋はコメリであるのですが、わらじがねぇ。

  横道にそれ過ぎましたが、今回のログです。今回はなまった体をほぐすトレーニングのつもりでしたのでゆっくりとしたペースで歩いてきました。

  9:09 下社(やしろ)先の駐車場出発
10:50 送電線直下休憩
11:25 三尺坊
11:50 秋葉山本社
11:55 茶店
12:30 下山開始
12:50 三尺坊通過
13:10 送電線直下休憩
14:30 下社付近駐車場着

5時間22分、約2万歩、約9.35km

いつものごとくそれぞれGPSデータ、万歩計、高度計のデータです。




  今回は少々曇りがちであまり眺望は良くありませんでしたが、前掲GPS地図データでも送電線とクロスするところに木製のテーブルとベンチがありゆったりと休憩しました。写真はそこから南側、天竜川の流れに沿って南側を見たところです。


  この先、東側に眺望が開けているところでは冬の晴れた日には富士山も望むことが出来ます。この写真は当日のものではありませんが、2006年の正月のものです。


  秋葉山から手前の山道を下ると「秋葉三尺坊大権現」があります。その昔秋葉山山岳信仰に、信州出身の三尺坊という修験者が起こしたと言われています。この三尺坊を祀る秋葉社と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺とが同じ境内にある神仏混淆ですが、この三尺坊の場所には現在「秋葉寺」が置かれています。なかなか分かりにくいのですが、これは三尺坊の山門です。


こちらは秋葉神社の旧神門です。



  これが新しい秋葉神社本社で、古い方は新しい(と言っても結構古いのですが)神門です。こちら側は道路が整備されていて車で参拝できます。ハイヒールやサンダル履きの人も多いので、旧参道の山道を汗みどろになってようやくたどり着いた我々との対比がなかなかです。


  秋葉神社の大鳥居は金色に輝いて南側には浜松、アクトタワーが見えます。また冬の晴れている時期には遠州灘を望むことが出来ます。火防の神社ですので火をおこしてお湯を沸かしてコーヒーを飲んだりすることはやや憚られますので、茶店・売店のご利用をお勧めします。


 

2011年8月16日火曜日

4週間で4kg、50日で8kg弱の減量成功!

私は山歩き、ゴルフ等と割と動き回る方なのですが、このところ体重が少しずつ増え、ついに70Kgの大台をうかがうまでになってしまいました。もちろんこれまでただ体重を増やし続けてきたわけでなく、ウォーキングを始め、ダンベル2Kgを使ったダンベル体操、腹筋等も続けていて、それなりに下肢の筋肉、大胸筋も少しついてきました。ところが腹周りだけがどうにも引っこんでくれません。これではおなかぽっこりのただのオッサンです。
一念発起!
幸い夏場で日の出が早いので早朝トレーニングを中心に、食生活を少しずつ変え自らの体を使った実証実験を6月下旬から開始することにしました。

 減量を始めて50日、ほぼ1.5月が経過し、ほぼ70kgから62kgまで約8kg弱の減量です。腹周りが約10cm以上減って、ウェスト89cmのズボンはブカブカです。私が30代半ばの時の体重まで戻しました。但し、腹周りはまだまだ「脂肪のついた皮」が残っていて、30代半ばの時のスタイルとまでは行きません。これがとれるまでにはまだまだ長い道のりが続くようです。カリッと焼けれはばうまそうですが---(笑)。


2005年の中頃からOMRON社製の体重体組成計Karada ScanHBF-354IT万歩計HJ-710Tで体重・体組成データを蓄積してきています。これらで得られたデータはオムロンの専用のアプリケーション「Bi-Link Standard」でグラフ表示が可能です。また、Excel CVS形式でファイル出力が可能ですので、独自のデータ加工、グラフ化することも可能で便利に使っています。


さて、実績のグラフです。体組成の推移グラフは横軸1マスが1週間です。オムロンの専用のアプリケーション「Bi-Link Standard」によるものです。


これからCVSデータに変換して2カ月間にデータをまとめてみました。赤い線は7日間の移動平均を取り平滑化したものです。



次に、今回の減量のポイントをまとめてみました。
  1)食事: 昆布、わかめを中心とした酢の物、野菜サラダ、雑穀米のおかゆ、
        野菜の煮物、こんにゃくの煮物、野菜ジュース。
        プロテイン(途中から参戦)
            とにかくご飯をバクバク食べるのは厳禁。炭水化物を極力止めてみました。

    2)運動: スロージョギング 56Kmを約1時間
        これは、先に紹介した浜北総合体育館の周回コース4回まわります。
        更に、室内になりますが、ダンベル2kg x  2個でウェイトトレーニング
        +腹筋+腕立+懸垂等
  3)ゴルフ: 早朝ゴルフで100球程度の打ち込み。
         但し、これは減量との相関はあまりなさそうですが、2)の手始め
         としての意味はありそう。
 
ただ、あまり極端に続けると持続力と気力が無くなっています。明日は山だ!ゴルフだ!という時にはちゃんと食べるようにしてます。2日程まえから準備しないと一日前の炭水化物の摂取では間に合わないように感じます。
腹減ったぁ~っ!

2011年7月30日土曜日

竜ヶ石山(359.1m)竜ヶ岩洞~奥山

2011729日(金)奥山半僧坊までの尾根歩き

前回78日に只木~富幕山~尉ケ峰の計画を途中で断念して奥山に降りて以来、暑い中のトレッキングをやや躊躇していたのですが、F氏からの誘いで「軽め」の尾根歩きをトライしてきました。数日前に雨が降ったこともあり、竜ヶ石山への林道アプローチはさほど暑くなく時より涼風を感じつつ、気分良く歩くことが出来ました。今回はトレーニングの意味もあったので、水を3リットル(真水1、お茶1、かなり薄めた赤シソジュース1リットル)これだけですでに3Kgです。Tシャツの軽装の肩には一寸重かったかもしれません。これでいつものように自宅から歩き始めました。

竜ヶ石山の山頂からの眺めもなかなか素晴らしいもので、西には浜名湖、東には浜松市街、アクトタワーがはっきり見えます。ちょっとパノラマ写真をやってみましたがどうでしょうね?

この竜ヶ石山は標高が359.1mなのですが、サンゴクイチ(三国一)と語呂合わせで平和を願う鐘が有志の手で設置されています。また、ここはハングライダー場になっていて、そのため風見の鉄塔なども設置されてますが、これはちょっと無粋かな。


以前にも紹介しましたが、竜ヶ石山から奥山に抜ける尾根道はあまり通る人もなく時に今時は夏草が生えてなかなか歩くのに苦労します。更に「クモの巣」との戦いで、時々先頭を入れ替わりながら木の枝を振り回し「クモの巣」を払いながらの「藪こぎ」ルートです。色んな人が、赤テープ・リボンを目印に付けてくれてありますが、これも所々なので道を失いがちになります。私たちはこれで3度目だと思うのですが、それでも一人歩きはやめた方が良いと思います。それと、夏草はとげがあるものも結構あるので、それらを刈る簡単な「山刀」のようなものも必要です。小さなナイフでは一寸無理です。
背山(うしろやま)峠付近もこんな感じで夏草に覆われています。これを数十メートル進めば背山集落の奥山往還道に出るのですが、今回はここの藪こぎはやめることにします。



  この背山峠を過ぎてしばらく尾根道を進んだあたりに253.4mの三等三角点があります。ただ最近の測量システムの変化に伴い扱われ方も寂しくこんな状態です。



以下の写真は最後の尾根を降りて、尾沢集落への最後の出口付近ですが、この通りの夏草です。ここを過ぎで奥山方広寺の門前を過ぎて、ようなくキジ亭で一息つけました。


07:20 自宅出発
08:41 霊園前バス停 (ここまで徒歩1時間20分)
08:53 乗車
09:15 竜ヶ岩洞入口下車
10:14 竜ヶ石山山頂
10:23 下山開始
11:00 背山峠
12:11 キジ亭到着
14:02 奥山バス停発
14:32 霊園前下車
16:28 自宅到着(ここまで徒歩1時間56分)


尾根を歩いている様子は、カシミール地図の25,000分の1の地図の方が分りやすいかもしれませんね。




帰りは三方原霊園前のバス停で下車し、いつものように徒歩で帰路につきましたが、結構疲労を感じました。途中でミニストップに寄りソフトクリームを食べたり、木陰で一寸休んだり、道を間違えたり‐‐‐‐これは別かぁ、いつもは1時間少々で帰宅するのに、2時間近くかかってしまいました。やはり減量のせいでやや体力が落ちているようです。約1時間、ほぼ5~6Km程のスロージョギングを連日こなしているのですが、食事制限(笑)が効いているのか?竜ヶ石山程度で喘いでいるようでは何のためのトレーニングなのかと反省です。

2011年7月13日水曜日

富幕山(563.2m) 只木集落~富幕山~奥山

201178日(金)富幕山(563.2m)只木集落~富幕山~奥山 熱中症との戦い

なんだか無茶苦茶疲れました。一夜明けても疲れがとれない。
この計画は昨年10月にやった「尉ケ峰~富幕山 Door to doorツアー」の「第二弾」として三ケ日町只木集落から登り、富幕山~風越峠~尉ケ峰~気賀の国民宿舎に至るコースを走破する予定でした。「でした。」つまり完走していないということです。

前日から夜半にかけ西から東海地方では、梅雨の終わりを思わせる結構な雨が降り、明け方には上がるという予報でした。朝天候を見て暑くなりそうだとの判断、水を3.5Lを持って自宅を出発。「Door to door」がテーマですから、当然自宅から徒歩で遠州鉄道小松駅に向かいます。帰りは後述しますが、思いがけず天竜浜名湖線、遠州鉄道のルートではなくバスで金指街道沿いの「百里園前」からの帰路です。


右側の写真が天竜浜名湖線の1両のみのディーゼルカーです。同線の西鹿島駅ホームの隣は遠州鉄道通称赤電が待機中。(左側)


この天竜浜名湖線の駅はほとんどが無人駅ですが、一部レストラン等への業務の委託が行われているようで遠州一宮駅は「蕎麦屋」さんです。かなりレトロな感じで、昭和というより大正かもしれません。写真は三ケ日駅です。(ここは時間内有人駅です)


三ケ日から只木集落に向かう途中に「摩訶耶寺(まかやじ)」がありますが、その歴史は平安時代にさかのぼるようです。この近くには「浜名湖湖北五山」と称する平安時代から江戸時代につながる重要文化財の「初山宝林寺」、「龍潭寺」、「大本山方広寺」、「摩訶耶寺」、「大福寺」があります。これらの各寺院、南北朝時代の奥浜名湖の状況などについてはいずれ改めて取り上げて行きたいと思います。また、この三ケ日只木集落は「三ケ日原人」が発見発掘されたところで、今でこそひなびた山里と言った趣ですが、かなり古くから開けた要所であったことがうかがい知れます。


その一方で、2012年度に静岡県域(御殿場JC~三ケ日JC)の部分開通が予定されている第二東名高速道路の工事がこの集落付近で着々と行われており登山路からも作業の様子が良く見えます。

雨上がりの梅雨明け猛暑の中、只木からの登坂は発汗との戦い。ほとんどサウナ状態の高温
過飽和水蒸気の雰囲気の中、汗がとめどもなく流れます。愛知県の岩が多い地層とは異なり、ここ遠州地方の山々の多くは元々古い地層らしく、粘土質の堆積岩でもろく崩れた状態の山道が多いのです。富幕特に只木ルートの道はほとんど砕石状態で、未明までの雨水を含み濡れて滑ります。足元は歩きにくきことおびただし。更に、この只木ルートは沢沿いなので湿気でメガネが曇る程、とにかくサウナ状態です。この登山道にはこれら沢から上がってきた「沢ガニ」がゾロゾロと出てきます。踏みつぶさないようにこれも慎重に。


幡教寺遺跡付近にある東屋で一息入れて、シャツ、タオルなどを少しでも乾かす努力をしてみましたが無駄だったかも。なお、この幡教寺遺跡は前述の真言宗大福寺の前身で875年の清和天皇の時代の建立され300年以上存在したと言われていますが、ほとんどそれらしきものは見ることができません。国土地理院の地図には397mポイントとして記載されています。


あまりの発汗のせいか、富幕山頂に立った時にはほとんど食欲がありません。でもこのままでは体力が持たないのでとにかく持参のコンビニソバを食べることにしました。水は3.5L持っていったのですが、ここまでですでに1.5L消費。シャツ、パンツ、帽子、タオルは絞れるほどです。この富幕山の山頂には遠くから見てもよく見える2つのアンテナ塔があります。山頂近くがNTT無線中継所(左側)、一寸下がったところにあるのは中部電力無線中継所(右側)です。ここには一等三角点本点があります。一等にも補点と本点があるようですが、詳しくは「三角点」のページで。
 


結局、風越峠から尉ケ峰に向け一寸登ったところで、ついに断念。一般道で少々距離はあるものの平坦な道路なのでとにかく奥山に出ることを決断。約7Kmの炎天下の県道68号線でとにかく奥山まで。キジ亭で一息ついたものの、あまりの汗まみれで、奥山バス停近くの公衆トイレ前のベンチで予備の着替えをしてバスにて帰路につきました。
教訓!只木ルートは雨上がり直後は避けるべきです。



  6:45 自宅発 途中15分程「すき屋」で朝食、5分程コンビニ
 7:35 小松駅
 7:44 小松駅発
 7:57 西鹿島駅着 (小松~西鹿島 ¥230
 8:10 西鹿島駅発 天竜浜名湖線
 8:58 三ケ日駅着 (西鹿島~三ケ日 ¥660
 9:00 三ケ日駅出発
 9:22 三ケ日バス停前発
10:10 只木集落センター前
10:30 富幕山只木コース入口
11:28 幡教寺跡東屋到着
11:50 同出発
12:17 富幕山山頂着
12:37 同出発
13:26 風越峠着
13:41 風越峠~奥山に向け一般道下山開始
14:55 奥山キジ亭着
16:10 奥山バス停発
16:40 百里園バス停着 (奥山~百里園 ¥520
17:40 徒歩自宅着


2011年7月10日日曜日

西気賀~尉ケ峰(433m)

201172日(土) 西気賀~尉ケ峰(433m

例によってF氏、M氏、H氏の4人で出かけました。何せ梅雨の中休みの炎天下ですのでやや自重し、手軽な尉ケ峰を目指しました。いつもは天竜浜名湖線「浜名湖佐久米駅」からスタートするのですが、いつもと同じではつまらん!とのM氏の提案により「西気賀駅」からのアプローチとなりました。実際には浜松駅発8:30(土・日祝ダイヤ)西気賀8:57の遠州鉄道バス40系統「気賀・三ケ日行」を利用しました。私は、浜北区在住なのでこのバスに合流するために自宅から徒歩で約90分強(ほぼ1万歩)の行程追加で途中のバス停(今回は湖東東バス停)で合流です。

この行程で約1万歩です。


天竜浜名湖線「西気賀駅」のやや東、西気賀小学校前からスタートです。ここは旧姫街道(現在の姫街道とは違い「姫街道古道」)と一部接しています。この「姫街道古道」の旅は以前歩いたことがあるのですが、これはまた別途報告することにしましょう。このルートは案内板がずいぶんあるにはあるのですがほとんど意味をなしておりません。残念!

この西気賀からのルートは一般道に合流しすぐ西に向かい引佐峠を目指すのが姫街道古道ルートなのですが、今回選んだコースはそのまま北西の尾根から回り込むルートです。どうやらあまり歩く人がいないらしく、夏草が生い茂り山刀が欲しい程のルートでした。因みに同行のF氏は半ズボンだったのですが、途中ルートを失いた時に藪こぎを強いられ、後日毛虫か何かの毒虫に反応して痒みに襲われたようです。



いつもながら、炎天下とはいえ林の木々に囲まれて遠く浜名湖を見つつ風に吹かれていると暫し至福の時です。


288mポイントの先でいつもの見慣れた引佐峠からのルートと合流です。この日は気流が良いのか、尉ケ峰の山頂に到着したころハングライダーが多数飛んでました。この尉ケ峰のほぼ真西の417.3mポイントがハングライダー場になっていて休日の風の良い日には大勢のハングライダーが集まるようです。竜ヶ石山もなかなか良いハングライダー場のようです。


気賀の国民宿舎方向への下山途中に432.9mの三等三角点はありますが、肝心な尉ケ峰の頂上には三角点がありません。国土地理院の地図には山頂近傍に「433」の記述があります。私はこの433mを採用していいと思うのですが、山頂には2種類のグループが設置した「434m」「423.9m」の表示があります。どちらを信じていいのでしょう?

夕陽台と呼ばれるテーブルとベンチのあるところ(N 34°49’ 23.80”E 137°38’ 11.19”)でM氏持参の1) YCM製の高度計と2) SUUNTO X6 3) GPSロガーでの高度表示の比較をしてみました。1) 220m, 2) 263m, 3) 248m1), 2) は気圧補正型ですので、最初のキャリブレーションを同時にやってないのであまり意味はないのですが、まあ参考までということでご理解下さい。


この後「おもかる地蔵」を経て、国民宿舎へ。ここの立寄り湯(\500)で汗を流しお疲れ様でした。

 7:18 自宅発
 8:57 湖東東バス停 ここまで1時間半強ほぼ1万歩。
 9:12 同バス停発 (8:30 浜松駅発)
 9:27 西気賀バス停着
11:00 引佐峠からの道に合流
11:05 東屋着
11:25 東屋発
11:44 尉ケ峰山頂着
12:39 同山頂発
12:46 432.9m 三等三角点通過
14:03 奥浜名自然休養林の道路出会
14:21 おもかる地蔵
12:25 国民宿舎着
16:00 国民宿舎前バス停発
17:00 浜松駅着
17:35 とりむら着
19:37 第一通り駅発
19:57 西ヶ崎駅着

バス停まで1万歩で山歩き&その他で合計3万歩でした。